ニュートラルにくつろぐ、という質について
どのように捉えることができるでしょう。
例えば、車のギアを思い出してみるのもいいでしょう。
「N」ニュートラル、という場所があると思います。
そこは前にも、後ろにも、左右どちらにも向かわない場所です。
反対に言えば、どこにでもアクセスが可能になる場所である、ということです。
これは意識がどこにあるのか、ということを意味するものなのですが、私たちは通常の意識をどこに持っているのでしょうか?
例えば、家族と一緒に過ごす時
あなたは何を一番に意識しているでしょう?
自分のこと、というよりも
家族のこと、子どもたちのこと、今夜の食事を何にするのか?片付けられていない部屋のこと、何度回しても溢れかえってしまう洗濯物のこと、学校からの連絡に冷やっとしたり。。。
そんな感覚の中で翻弄されながら、なんとか自分を維持できているかも知れない、という外側の意識かも知れません。
内なる平安は、いつでも自分自身の中にあるというのに
そこにアクセスするすべを知らないでいるのです。
クラニオのセッションでは、まずこのニュートラルな質にくつろぐことを最優先していきます。
何もしない、という質の中で。。。
それはお母さんのお腹の中にいた時の、あの絶対的に守られているという感覚で
ただただ揺らいでいた、あの感覚に似ているかも知れません。
それはとても安全な場所で、心の底から安心する、という感覚につながることができる場所です。
押すこともなく、引くこともしない。
摩擦を与えるようなこともしないし、エネルギーを与えるようなこともしないで
ただ、柔らかなタッチによってくつろぐというプレゼンスを体験するのです。
その中に何が起こるのか、その体験は個々人様の感覚によって様々ですが
ただただ、心地のいい感覚に体の広がりを感じるような、そんな印象かも知れません。
命の脈動を体感された方々は、体が膨らんで、縮んでゆくような
軽やかさを体感される方も多いです。
でもそれはいつでも、個々によって様々ないま必要なものしかやってこない、という
私たちの体の叡智によって変わることもあるのです。
必要をもたらすのはいつでもニュートラルな質によって、です。
私たちはそれを自分の体の中に秘めているのです。